2017年08月20日

外人記者「日本のメディアは守られすぎ。森友・加計問題でそれは露呈した」

外人記者「日本のメディアは守られすぎ。森友・加計問題でそれは露呈した」

http://news.livedoor.com/article/detail/13491839/

先日、テレビ番組で森友・加計(かけ)問題をめぐるメディアの報道姿勢についてコメントしました。やや補足も加えながら紹介しますと、以下のような内容です。

「メディアとは自ら能動的に取材し、ファクトを提示するべきものだが、今回はほとんどのメディアがその役割を放棄し、野党によるショーアップされた内閣追及に加担し続けた。場合によっては、自民党以上に信頼を失ったのはメディアだったということになるかもしれない」

このコメントは思いのほか、多くの賛同をいただいたようですが、メディア(ここでは最も典型的なテレビを取り上げます)側とユーザー(情報の受け手)側の両視点から、もう少し掘り下げてみましょう。よく言われることですが、日本のテレビの異常さは、
(1)電波割り当てや記者クラブといった仕組みに守られていること、
(2)そのため表向きは「不偏不党」をうたいながら、
実際にはそれを都合よく解釈し、大衆がニュースから受ける印象の“操縦桿(かん)”を握っていること、にあります。はっきり言えば「守られすぎ」で、さまざまなごまかしがあるのに、
視聴者もそのヌルさに慣れきって何も感じなくなっているのです。

 一方、例えばアメリカではCNNやFOXから独立系放送局に至るまで、イデオロギーを特化させたりニッチを狙ったりと、市場でユーザーを取り合っています。そしてアグレッシブにネットでも発信し、新しいビジネスにつなげる。その進化の過程でフェイクニュースのような“魔物”が生まれることもありますが、いまだに報道番組の動画をネットに出し渋ることが多く、高齢者をメインターゲットにすることで延命している日本とは大きく違います。

 こうした日本のメディアが生み出したのは、どこまでも受け身で、情報に踊らされる人々。その危険性を戦前のファシズムに重ね合わせる声もありますが、平均年齢の若い国民が限られた情報のなかで熱狂に走ったかつてのドイツと、高齢化もあって活力を失った人々が過剰にあふれる情報を「好きか嫌いか」で偏食し続ける現代日本とは全然違う。それはファシズム前夜というより、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の世界のようだと僕は感じます。

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ファシストは政権側ではなくてマスゴミの中に沢山蠢いている。
マスゴミはナチスの手法を一番よく学び取った優等生だな。
第四の権力とは単なる比喩ではなくまさしくそのもの。

おかしな番組のスポンサーには、抗議する!不買運動する!
そうすることで、偏向報道させないようにするしかないね。
悪の巣窟は、NHKと共同通信

ニュース女子だけがテレビの良心
やっぱり「冠番組」が激減した(させた)のが凋落の始まりだったな、
なぜなら「スポンサーの襟恃」が明確になるから
視聴者(顧客)に明からさまなウソはつけなくなる


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posted by コピペマン at 08:12| Comment(0) | 真っ赤なマスコミ・マスゴミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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